人知れず、物語はあって
White Album2 ~ Mihatenu Yume - Quellatalo Reproduction
いよいよ、2015年が終わろうとしている。
これより年越しまではバタバタとしてしまいそうなので、今書いてしまうことにする。
語る上で敢えて個人的な話に限るが、今年は1年を通して非常に苦しい年だったと言わざるを得ないだろう。
まぁ、ただ苦しいだけの年でもなかった。
大雑把に見ても得たモノは去年以上に多い。
それと、今年はずっと持っていたものを「捨ててみた」年でもある。
捨てたものは何か。
結果的に、こだわり、になるだろうか。
理由があってそれまで固執していたことがあった。
これはこうだからこうすれば上手くいく。そういった考えがあった。
他人に求められるからそれに乗る。そのリズムがあった。
新しいことを求めて、今までと同じ考えのもと、今までと同じことをする。愚かなルーチンがあった。
今年は敢えて、それに逆らってみた部分がある。
そうやって、俯瞰を超えた鳥瞰、そのやり方。
すると自分の意識の本質というモノが、最後の最後で輪郭を覗かせた。
というのは、出来事の克服。
前回、目の前の課題は来年に持ち越しになりそうだと言ったが、先日その課題は予想していた形で解決…となった。
確かに、予感はしていた。
今回の終着駅は「そこ」だろうと。
まるで手応えのなかったペーパーテストのようだった。
それも、出題者側に悪意のある、正しく悪問だらけの期末テスト。
そんな答案で作った紙飛行機は飛ばない。飛ばずに落ちるだろうと。
もちろん、望まぬ形ではあった。しかし、部分的には納得のいった形であった。
あとの納得行かなかった部分は、類推で自分を納得させた。
なぜ理解ったかって。
以前、見たことがあるから。その光景、もう何度も見たから。
そして何より、・・・・・・。
この件に関して、どうすればよかったのか、という答えなど無い。
どうやってもこの帰結は免れなかっただろう。
解法すべき1つの問題があまりに、あまりに悪問すぎたから。
間違いなく、この「どうにもできなかった」という苦い感情が、本当に優しさを持った、最善の結末だった。
以前の出来事がこのような終わり方にさえなり得たという、可能性の話にもなる。
それでも、今回のようにならなかったのは・・・。
話してみれば大したことでもない、かと言ってありふれた話でもないのだけれど。
このことは誰にも言うまい。
断言できるが、少なくともこんなことは、もう二度と経験する機会は来ないだろう。
それ故に、きっと一生忘れないだろう。
非常に強い感情を持った、最悪の、最善のパターン。
逃げ出せなかったから、冬の星座を見上げた。
1年の最後の月。
そして、後日談。
湧き出る意識の本質、その奔流には逆らえない…というわけか。
そこには1年の最初の月にいたであろう場所に帰れるという、小さいけれど粋な奇跡もちゃんと残されていた。