夏が過ぎ、秋が来たということ

株には調整期間というものがある。

何か、突然起きた「これが材料になったのか?」と疑問符が付くくらいのモノが材料となって始まる。

長くなるのでこれについての詳細は割愛するが、その期間の後最終的に大きく上へ行くための準備期間と言ってしまっておおよそ良いだろう。

その間、チャートは通常時の動きのルールを無視して横這いしたり、方向性に乏しい動きになったりする。

 

人生においてもそういう時がある。

些細なことがきっかけとなって些細な乱れが生まれ、乱れが乱れを呼び、やがて大きな乱れとなる時がある。

 

そうなると、「普段」とは言えないだろう。

その時、意識的に実践しているモノ(自分の普段を支えているモノ)は意味を持たない。

もっと言うと、思考が役に立たなくなる。

それを持ってくるには、再度それを意識できるようになるまで待たないとならない。

 

重視すべきなのは、これは「全ては上に行くための抵抗」であるということである。

くよくよせずにそう思え、といった啓発ではない。本来的にそういうモノなのである。

それがわかっていれば俯瞰的な視野を失わずにいることができるだろう。

意識を使用しそれを打開する方法を考えられるだろう。

退屈なレンジ相場の中でも常に考え、学んでいけ。

 

そうやって考えると、上場廃止されなければ勝ちだろう。

君のそのステージさえ守りきればいいのだ。

それ以外は打開のためのドアを叩くのに力を割り振っていけばいい。

急な局面に、反動を持った急な思考で大事なことを取り間違えないこと。

 

本当はチャートも人生も、動きのきっかけとなる材料なんて後付の嘘っぱちで、実際には「その時が来たから」動くという事実があるだけなのかもしれないが…

 

今の僕が重い腰を上げ再び直視しだした問題も、一見泥沼に見えるが、意外な時に意外な方法で決着を迎えそうな予感がしている。

準備が整いつつあるのかもしれない、ということに気づいたからだ。

調整から抜ける瞬間は、思っているよりも近いのかもしれない。