小さな冒険者とともに

早速、頭の中の整理に使いたいと思う。

やはりわかっていても忘れてしまうこともあるので。

 

稚拙な表現だが、僕はいつだってワクワクするものを求めている。

 

今年の駅伝の青山が放った「ワクワク大作戦」。

箱根ではどちらかと言えば冴えないイメージだった青山が、強豪相手に圧勝。ダウ買いを年末から持ち越し、不安定な気分のまま正月気分に染まりきれなかったニート時代の僕ですら、そのドラマに年初から非常にワクワクさせてもらった(結局この買いは縁起良く利確できたのだが)。あれから9ヶ月が経った。

 

改めて思ったのは、飽き飽きしている輪の中で回っていていいのか、ということ。

常に、飽きてはいけないんだ。

 

そうはいっても、人間は慣れる生き物である。

慣れる=新鮮味がなくなる→飽きる。

新鮮味を求めて飛び付いてはそれに飽きていく。

そして満たされない心だけが残る。

よって飽きるのは満たされたい心ありきだろう。

このように満たされない心というのは本来原動力にすべきで無くてはならないモノだが、この場合何も得ることなく飽きて終わってしまうということが問題だ。

 

継続は力なり、という言葉がある。

僕もそう思う。生きていく上で、慣れて洗練されていくために、継続する必要がある。

努力は継続であり、継続は努力だ。

しかし、人間は続けるほどに飽きていく。

継続は退屈なモノとなり、飽きに繋がる。

そもそもの順序としてこういった構造があるわけだ。

 

そしたら、輪から抜け出すにはちょっとした変化で良い。

人生に真の意味での劇的な変化は無い。(まぁあるとすればネガティブ要素溢れるリスキーなモノだろうし、それを劇的な変化とは言えないだろう)

存在しないモノを求めるのはナンセンスだ。

故に取り巻く状況を変えていく、という言い方をしたい。

 

では、その変化とは。

「試しにやってみる」。

自分で行動すること。

自分で行動することで生み出せる。

自分で行動し、自分で確かめる。

確かめて納得する。

 

満たされない心があるなら行動しろ。

求めるものがあるなら行動しろ。

 

それで火傷したっていい。

最初のきっかけは過去に失った何かの代わりを求めたっていい。

行動の後に納得し、後悔し、それを次に生かすこともできる。

 

「どんなもんかな、試しにやってみっか」でいい。

勇気のいる場面で一歩踏み出せれば、もうそれは新鮮の創出だ。

ワクワク製造ラインだ。

 

青山のワクワク大作戦の根底にあるであろう今までの順位への”飽き”がそうさせたのだと仮定すると、僕の考えていることと繋がる。

新鮮の後に来る飽きに対し新しい行動をぶつけるのか、それとも飽きてそのまま捨てるのか。そこが輪に戻るかどうかの分かれ道になる。

 

結論として、飽きが無い継続は状況を変える新しい行動が支える。

自分で思考し行動することで、新鮮味を生み出していけ。

飽きる暇がないほど絶え間なく新鮮を創出していけ。

満たされない心がある限り。

 

結局は。

面白く無いなら自分で面白くするしかねーんだから。